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日本舞踊とは

日本舞踊

舞踊という言葉は、坪内逍遥がDanceに置き換える日本語として日本に存在した「舞」と「踊」を組み合わせ作った造語です。「舞」とは、神楽や能楽等に見られる旋回運動を主とした静的な動作であり、「踊」とは盆踊りや阿波踊り等に見られる跳躍運動を主とした動的な動作です。
「日本舞踊」とは文字通り、日本の古典的な「舞」と「踊」を総じています。

上方舞とは

上方舞

関東では主に歌舞伎舞踊から「踊」が発展し、上方では、「舞」が発展しました。
京舞とも称される「井上流」、大坂で生まれた「山村流」、「楳茂都流」、「吉村流」の四流派を上方舞四流と呼んでいます。

山村流の歴史

浮世絵に遺る山村流

新町九軒井筒に於いて 山むら友五郎門弟
島屋小梅の海士
春川五七 画

上方絵と呼ばれる浮世絵は海外ではOsaka printsと呼ばれています。流祖・友五郎は観世流から山村流の舞を作ったとされますが、この浮世絵は能より取材した同名の作品「海士」を舞う門弟の姿が描かれています。画中の中啓(能で使用する扇)の柄は、現在でも山村流の師範試験の折使用している扇の柄と同じと考えられています。

山村流

山村流は上方舞の中で、最も古い流儀であり江戸時代(文化・文政・天保期)に一世を風靡した歌舞伎役者三世中村歌右衛門らの振付師として今日の上方歌舞伎の礎を築いた山村友五郎を流祖としています。
大阪で生まれ発展し、「大坂の舞は山村か、山村は大坂の舞か」と称され、女性らしい舞「大和仮名の女文字」と坪内逍遥が評しました。
「能から出た行儀の良い舞」として大阪の商家の子女の嗜みとして山村流の名取札が嫁入り道具に欠かせぬ物とされました。

山村流では、友五郎の初めての振付作品「覚めてあふ羽翼衾」が上演された文化3年(1806年)を創流の年と定めています。
友五郎は後に舞扇齊吾斗と名を改め歌舞伎の芝居番付に『振付師』として記されますが、「ふりつけ」に、先生という意味の「師」という漢字が使われたのは、友五郎が初めてであったとされています。

友五郎の足跡は歌舞伎の番付を始め、上方絵(Osaka prints)と呼ばれる浮世絵にも数多く残っています。山村流宗家では宗家所蔵の上方浮世絵を纏め、平成26年六世宗家の三代目友五郎を記念し上方浮世絵図録を発行しています。

新町九軒井筒に於いて 山むら友五郎門弟 島屋小梅の海士 春川五七 画
公益財団法人阪急文化財団池田文庫所蔵
公益財団法人阪急文化財団池田文庫所蔵
1834年 振付師 舞扇齊吾斗

座敷舞・地唄舞

大坂、米の売買に各藩の武士や商人が集まり、そのもてなしにと当時の交流の場であった座敷にて盛んに舞が舞われました。能楽に造詣の深かった友五郎は、武士の心得とされ女性には舞う事を許されていなかった能楽の仕舞の型を取り入れ地唄や端歌(上方唄)と呼ばれた当時の流行歌に振りを付けました。座敷にて埃をたてぬ様、一畳の空間でも舞えるようにと配慮がなされた事が、舞台芸術のまま育った「踊り」とは違う点となりました。座敷にて舞われたので「座敷舞」、そのうち地唄に振り付けられた舞は「地唄舞」と云われます。また、歌舞伎舞踊を短くまとめ門弟に教え、「舞浚え」と呼ばれるお浚い会を盛んに催しました。その舞を養子(二世・友五郎)養女(れん・登久・せい)に伝えたのが山村流の始まりです。山村流の舞を確立した友五郎は、花街はもとより一般の子女の舞指導においても大坂の街を席巻するようになりました。

山村流の代々

友五郎には実子はなく、養子養女がそれぞれ一家をなして山村流を伝えました。太平洋戦争の勃発と共に大阪の大切な郷土芸能である「山村舞」が戦争で失われる事を危惧し、伝統を守る中心的人物が必要として、国文学者や識者の方々の尽力により、昭和17年、友五郎の養子養女の中で、唯一、登久の孫として家筋の血脈を継ぎ、師匠として多くの門弟を有していた若子が三世宗家に推され、流祖の晩年の名である舞扇齊吾斗を襲名しました。その後、舞扇齊吾斗の孫であった菊が四世宗家山村若を襲名し、四世宗家の孫にあたる武が早世した母、糸に五世宗家を追贈し、平成4年六世宗家山村若を襲名し、平成26年には、119年振りに流祖の名・友五郎を三代目として襲名し現在に至っています。

三世宗家舞扇齊吾斗襲名披露舞踊会(角座)

昭和17年5月25日
地唄「関寺」を舞う
三世宗家 山村舞扇齊吾斗

四世宗家襲名披露 山村流舞の会(大手前会館)

昭和23年4月9日
襲名口上 国文学者守随憲治、秋葉芳美博士らと共に
口上に座る四世宗家山村若(前列左より3人目)

地唄「雪」

山村流の舞には上方歌舞伎、文楽由来の演目や地唄舞など多くの演目が残されています。中でも山村流の魂であると四世宗家が語った地唄「雪」は大変大切に扱われています。谷崎潤一郎の「細雪」には、主人公妙子が地唄「雪」を舞う姿が描かれている事でも有名です。 

昭和14年発行 郷土芸能誌「上方」表紙 長谷川貞信画
地唄「雪」を舞う四世宗家山村 若 
地唄「ゆき」
地唄「雪」を舞う六世宗家 山村 友五郎

現・六世宗家三代目山村友五郎の取り組み

現友五郎が、平成4年に六世宗家山村若を襲名するまで、山村流は女性によって伝えられてきましたので、女性らしい地唄舞が主流となっていました。
100年振りの男性宗家として襲名して以降、流祖・友五郎が振り付けた歌舞伎舞踊を源流ととらえ積極的に維持継承に力を注いでいます。また、流儀に残る振りや浮世絵から途絶えていた変化舞踊の復元を試み、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。令和2年には紫綬褒章、大阪市民表彰を賜るなど、高い評価を受けています。また、コロナ禍での自粛より山村流公式YouTubeを開設し、大阪の文化を発信しています。

流祖・友五郎が三世中村歌右衛門に振り付けたことで当流に残る歌舞伎舞踊

大阪の街との関わり

コロナ禍で2年の間中止となっていますが、新年には、今宮神社十日戎宝恵駕篭行列に流儀として参加しています。また、夏には道頓堀献灯提灯に山村流一門の約30基の献灯を行っています。宗右衛門町夏祭りにも毎年出演し、大阪で生まれ育った山村流の宗家として大阪の街の活性化に力を注いでいます。